sonoukeiko’s diary

大人のADHD当事者であるアラフォー主婦のWebライティング内職、ストラテラ/コンサータ服薬、趣味なんかの記録です。

ストラテラ減薬プロジェクト、始動

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ADHD(や厳密にいうとADD)である人によってはまだ服薬どころか受診もしてないよという人が少なくないと思います。あるいは、服薬開始したけど止めちゃったという人も。もちろんTwitter等で表には出てないけど服薬によって問題なくやってる人もいるのかな? 私は、副作用をほとんど感じていないストラテラの減薬を試みることにしました。


(なお、以下文中にTwitterのツイートを引用しております。一応公開の場でツイートした内容でもあり大きな不都合はないだろうと勝手に思い込んでおりますが、ブログにまとめると事情は違うという方もいらっしゃるのは十分わかりますので、何かありましたらTwitterDMやこちらのコメントからお知らせください。たぶんDMのが気づくのが早いと思います。よろしくお願いいたします。)

なぜストラテラを減薬するのか

「副作用ないのに止めるなんてもったいないじゃん!」という人もいるだろうな。ごもっともですよ……。

減薬理由その1:コンサータを試したい

コンサータを過去検討したことはありました。「服薬により育児や家事に関する生活改善をするためには服薬しなければならないのでは?」というのがADHDを疑っての受診のきっかけだったので、当然、初診の前に薬についてはけっこう調べました。

で、コンサータを選ばなかった理由はといえば、

の2点でした。すごく消極的w

ちなみに当時、ちょうど1年前の6月に通院開始した地方都市の精神科クリニックは、発達障害の専門家というわけではなく、地域診療を担う年配のおじいちゃん先生が穏やかに懸命に対応するのんびりとしたところでした。予約不要だしね、東京の精神科クリニックとはちょっと違いますよね。

医師もADHDを相手にしたことはそう多くなさそうで「こういう手順&方法で治療する」といった大まかなプロトコルをイメージしてはいなかったような気がします。とりあえずストラテラを服薬してもらう、服薬も少ない量から徐々に増やし80mgで止める(足りなかったら120mgを上限に増やす)っていう手順を踏みながら、時々の診察で副作用の様子や生活の変化を訊くという程度。

のんびりとしたものです。それはそれで自分なりに認知行動療法にチャレンジしてみようかなという気持ちも芽生えて、人の言うことに安易に従うのヤダー根拠ヨコセーな私には良かったかなと思います。

しかしですよ、東京に引っ越してみると、まあいっぱいあるじゃないですか、コンサータを処方できる医療機関が。そして、Twitterでもコンサータ処方されてる人が少なからずいる。

こういうの目にしちゃうとね。

気になってくるじゃないですか、自分が飲んだらどうなるんだろうと。何も人生逆転できるとか思わないんですが、いつものあれ、衝動性というか興味が暴走するというか「やってみたい!!!」っていうあれです。

幸い、引越先でたまたますぐに予約できた(ちょっとナルシストっぽい印象の、でもたしかにイケメンではある)新しい主治医が「ストラテラよりコンサータのほうが効くって言ってる患者さんのほうが多い気がするんですよねー。ストラテラで睡眠が妨げられたり食欲が落ちたり……あ、食欲落ちるのはむしろありがたいって患者さんのが多いかな?(笑)」とコンサータへの切り替えにどちらかというと肯定的ではあるので、やってみたさをサポートしてくれはしそうです。

もっともこのような反応がベースだし「いずれ服薬は止めるもの」というのがこの医師の基本姿勢で初診から揺るがないので、一生飲み続けることにはならないんでしょうね(薬価で破産するわ: コンサータの最小量18mgで2017年度だと337.80円/錠。何錠飲むかにかかってきますが)。

減薬理由その2:ストラテラが合わない?

冒頭にストラテラについて「私は、副作用をほとんど感じていない」と書いたんですが、一応あるっちゃあるんです。

けど、眠れないとはいえ眠気はあまりないことがほとんどです。翌日眠気があるときというのは、添い寝しているわが子が、ストラテラの影響下でも何とか寝入れそうになってるところに、寝返りをうって私の上に脚を勢いよくのっけてくるようなときです。いや、ストラテラ関係ないな。

一般的に言われているような上のリンク先のサイトにあるような副作用というのはありませんでした。精神科クリニックでも今回の受診時に一応採血しましたが、私は別の持病で数カ月おきに採血していて、定期的に肝機能のチェックなどはしています。

だから、あえてストラテラやめるべきってほどでもないんですよね。合ってなくはない。

でも、もしストラテラやめて、それで不都合があって、コンサータに切り替えることになったとしてもストラテラには戻れます。不都合がなかったら服薬自体必要なくなりますしねぇ。

そうそう、コンサータに変えたら、ストラテラみたいな感情の平板化もなくなるんでは、という期待もわずかにあります。「たーのしーい!」がなくなって久しいですからね。タスク処理マシーンって感じが、たぶん以前の私ならするでしょう。(現在の私からすれば、「なすべき任務を淡々と果たすだけだ」というソルジャーなメンタルなので、楽しみがあろうとなかろうと関係ない。書いてても思うけど、それはそれでヤバくね?)

もちろん、主に期待するのは、不注意をどうにかするって点ですが。

コンサータへの変更を見越した減薬

以上のように、私は「ストラテラからコンサータへ変更してコンサータを服用してみたい。コンサータ服用して、ちゃんと眠れてちゃんと機能する経験をしてみたい」という期待を、主治医は「ストラテラで不眠があるようならコンサータで改善させたいが、そもそもハイパフォーマーであるなら努力で不注意をカバーする仕組みを使えば服薬に頼らず身体に負担掛けずに適応的に生きられるのでは。まずはストラテラを止めて、様子を見させよう」という意図から、ひとまず2週間、ストラテラを止めてみます。

薬で動く自分をとるか、薬なしで移ろう自分をとるか

さっきも感情の平板化の件で書いたんですけど、究極的な話、薬に頼らずに生きる瞬間もいつかは来るのかな、そうすべきなのかなという気がちょっとしてきました。

「回っていない感じ」の出所は本当にADHDか?

あくまでも「私」という器と心を前提とした話なんですけど、薬を飲まなくても生きては来られたわけですよ。苦労はしたけど。死にそうになっていたこともあったけど。

通院するに至ったのは、自覚症状としてあった「育児や家事がうまく回らない。回らないからストレス反応として怒りが生じて、その矛先が家族、とくに育児で思い通りにいかない対象と私が認識している弱者の娘に向かう」という実によろしくない点を改善したかったから。

この症状ですが、生理前が酷いように私自身もダンナも気づいていたので、月経前症候群の一種でもあるのかな、でもとりあえずうっかりPTAやその他の手続きを忘れるようなことがなく、家事も適度にやるような生活をできるようになることが大切だろう、ということでストラテラを服用していました。日々のタスクをヌケモレ・ダブリなく片付けられれば、元々のストレスも減じることができるので、育児ストレス分の耐性が温存できるかなという考えですね。

今回、転居に伴って通院先を変えてみて新主治医に改めてその話をしたところ、月経前症候群というのもあるけれども、ひどいとうつ症状などで服薬が必要になることもあるという話が出ました。

「もしかして、ADHDとしては適応的に生きられる能力(とスキル)があるのに、育児で心身が削られる分までは余裕を持てていなかったんじゃないか」ということに思い当たったことがありました。

もちろんADHDそれ自体のつらさというのはこれまでの人生にずっとつきまとってきてはいるのですが、それと同時に通奏低音のように流れ続けていた、主に実家の家族によるディスりというか、精神的虐待ですよねぇ、あれは、それによる二次障害があったので、本来のハツラツとした自分を引き出せていなかったのではないかと。

例えば、この3~4年ほどは決して本気で死にたいとは思わなくなっています。その状態に加えて娘が幼稚園に入園して以降、育児ストレスが少なくなってからは、かなり育児・家事の生活改善ができたうえに、PTAのPC仕事やらイベント運営やらがすんなりできていました。

その後、PTAの仕事はなくなったけれど、ヘビーな引っ越しも在宅ワークも、ADHDcocoachの試みの過程で自分に合うように使い始めたシステムにより、細かいタスク設定&処理でこなせるようになって、自信までついたんですよ。

しかしですよ、こんなに育児ストレスを受け止めやすい状態になっているはずなのに、まだ生理前になるとイライラするんですよ。つい娘の一挙手一投足をチェックして厳しく指摘してしまっていたりする。もちろん毎回怒りすぎたと謝ってはいるものの、続けるのはよろしくないのはよくわかります。

そもそもの問題はADHDの対処だけでは乗り切れない問題なんじゃないかと。そしてADHDの分はストラテラ服薬したこの7カ月の間に自分なりの対処法をうまいこと組み立てられたんではないかと。そんな気がするんですよね……。(ま、薬がなくなってみて初めてわかるありがたさかもしれませんが。)

飲み続けると楽にタスク処理はできるけど、本当に楽なのか?

薬を飲んでると絶対にありがたくないのが薬価です。わが家はダンナの年収が微妙に高いため、自立支援制度を利用することができません。そのため3割負担で薬代を支払わなければならないんですが、30日分とかでも一回の受診で診察と薬に1万円くらいかかるわけですよ。高いですよねぇ。

うち、ダンナが長男じゃないし私のほうの実家は引きこもってる弟がいるんで、家は社宅or賃貸を借りるか新築or中古住宅を購入するしかないんですよ。でも、海外含む転勤が2-3年おきにあるので、その間は荷物を捨てるか預けて、帰国後は買い直したりするわけです。

娘が乳児期はさして問題なかったんですが、幼児期以降は学校の問題が出てきます。特に、近年は私立幼稚園の入学金で苦労しました。無駄に取られたまま半額が戻ってこなかったり、転園でもう一度支払わなければならなかったり。

こんなことがありながらも家を維持する必要がありますし、もしいずれダンナが単身赴任することになれば二重生活の費用が、帯同するならひょっとしたらインターナショナルスクールの学費が発生するかもしれません(意図していなかったのに急に私立小・中に行くようなもの。ひょっとして非英語圏に行く場合、現地校には通わせられない)。

ほんと変化と出費の多い生活なんですよね……。結婚相手選びは合ってたと思ってはいるんですが。で、だからストラテラの出費を抑えたいってわけではなくて、いや、抑えたいんだけどそれがメインじゃなくて、悩んでいるのは、この生活を生き抜くための癒やしが今は足りないって点なんですよね。

ストラテラ飲んでいると、感情が平板化するようだという点がここに関係してくるんですが、現在、生活のなかで「わああああぁ、すごおおぉぉーい!」みたいなことがめったにないというか、ないんですよ。ヤギの餌やりくらいですかね、ストラテラ服薬し始めてから心底われを忘れて楽しめたのは。

ADHDなりの生き方をアラフォーになるまでやってきて、たぶん本や映画の架空世界にどっぷりはまり込んだり読んだあとどことなくその世界と繋がったような感覚を残して生活したりするのが、たぶん現実世界でサバイブするための工夫の一つになっていたと思うんです。

ストラテラを飲むことによって、あるいはコンサータもそうなのかもしれないけど、服薬によってタスク処理や身の回りの色々なことを処理できるのはたしかに快適なんだけれど、私の生きてきた中で経験した、そして経験する可能性のあった、夢中で楽しめる言語化不能な情緒的な彩りいたいなものが、今、生活から抜け落ちてしまっている。このことは、自分にとって本当に良いことなのだろうかとずーっと考え続けています。

ほんとに服薬で楽になってるのかな、すくなくとも「楽」しさはなくなってないかな、という疑問ですね。

本来の私?

何となく思うんですけど、生活の軸足をどっちに置くかで決まってくるのかなぁという気もするんですよね。

こう、クリエイティブ系の広告とかの人には発達障害やらの障害を持つ人が多い(最近Twitterのタイムラインに流れてた例だとディスレクシアの人が多い)という話を聞きますが、仮にそれが薬で抑えられたとして、それとバーターで感情が平板化するとしたら、その人たちは薬をとると思います?

私はとらないんじゃないかなと思います。彼らの仕事は「快/不快」みたいな感情を軸にする仕事だから。それがなければデザインやコピーライティングはできないんじゃないでしょうか。

翻って自分を見てみて、私の軸足はどこにあるのか。

本当にタスク管理を厳密に緻密にこなすことでしか成立し得ないような高度な仕事を求められているのか。かすかに残っている感性を頼りに書いた文章がクライアントにべた褒めされたらしいのに、その感性を潰すような薬を飲み続けていて、本当に自分のためになるのか。

一専業主婦(内職あり)ではありますが、自分の持ち味を殺して適応しようということに、非常に危機感を覚え始めているんですよねぇ。どうしよう、ほんと。

ストラテラ減薬していつもの自分が戻ってくることはもちろんわかっているんですが、もしコンサータを飲んだときにこの「感じ」が死なないのであれば、それがベストではあるので、そのときはそのときでどうしようって気もしますけども。



そんなこんなで、本日より2週間ほど、この7カ月慣れ親しんだストラテラを切っての生活で失うもの、取り戻すもの、色々あると思いますので、一つ残らず気づけるように、そして記録できるように注意して過ごしたいと思います。

Twitterでは随時気づいたことを報告すると思うんで、フォローされてない方はよろしければフォローしてください。(RTとかめちゃくちゃ多いと思うんですが、心理系やADHD発達障害関連のRTまではいらないという方は、フォローされる際に私の画面から「リツイートは表示しない」を選択されると、わりと快適にお過ごしいただけると思います。)

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