The 巣 in はてな

2016年にADHD診断の出た主婦のブログの、はてな版です

自分のADHD傾向に向き合ったきっかけ

「どうしてちゃんとやらないの?」
「やればできるのに、どうして真面目にやらないの?」
「こういうことは根回しも手続きもすごく良くできるのに、肝心のこっちではどうして頑張れないの?」

そんなことを言われるけれど、私自身はそのズレには気づいていませんでした。たしかに、指摘されてから振り返ってみると、自分自身の中で気乗りしない物事のほうには意欲や労力を割けないし、努力して割こうと思っても眠気のほうが先にやってきてしまってどうしようもなくなったり、後でやろうと強く思っていたはずなのにすっかり忘れ去ってしまったりするのです。

大学生の頃にADHDという発達障害の存在を知りました。でも机上の情報として知っただけでした。これまでの人生で「走り回る子」「落ち着きのない子」に出会ったことが、どういうわけか一度もなかったから、今一つ実感がわきませんでした。まして、私の有しているであろうADDはなおさら、想像すらできませんでした。

小学生高学年くらいから社会人になっても、冒頭のような言葉を家族、先生、同僚、上司から言われることが多く、そのせいで落ち込み、さらにその落ち込みのせいで意欲がわかず、作業効率が下がって当然評価も下がり、徐々に抑うつ的になっていく。最悪な場合はうつ病に陥ってしまったこともありました。

でも、そこで「それはADDのせいだった」というようには思いませんでした。実際、意欲がわかなくなってしまう。意欲がわかないなか努力しているのは他の人も同じ。私だけが甘えている。甘え過ぎているのだ──そんなふうに自分を責めることしかせず、ちょっと引いて中立の立場から分析することができなかったので。(子供の頃から「ちゃんとやればできるのに、どうして?」と皆から言われてきて、思考の癖になっていたんでしょうね。)

諸事情で仕事を離れ育児に専念し、その育児がちょっと楽になった頃、いつものアレがやってきました。「新しい課題が出て、他の人よりも意欲的に精力的に活動し、今までできなかったことがあっという間にできるようになって愉しんで、その課題が終わったら、なんだかつまらなくなってしまって、最後の事後処理ができなくなる」みたいなパターン。「祭り」の時期は良いんですが、CEOとかになるような定型の精力的な人たちと違って、どうもこう、長続きしないんですよね……。

家庭内でも、片づけや掃除が疎かであるのが、仕事や妊娠出産・乳児育児による多忙さを理由できなくなってしまった、というか、それが理由ではなかったと気づいたのもこの頃です。また、うっかりミスも増えました。仕事していた時は死活問題であるので、スケジュールやタスクは必ず「ほぼ日手帳」などの何でも書き込める手帳に一括管理していたけれど、その後スマホ等の外部記憶に頼るようになって、「憶える&思い出す」作業が減ったせいかもしれません。

困り果てる中、家族からも強い要望の出ていた片づけ対策ついて検索していたところ、ADHD・ADDに出遭いました。その時、
「ああ、私、やっぱりADDなんだ」
という安心感、納得感のようなものがありました。すっと腑に落ちるような感じ。こういう感覚がある時、私にとってそれはたいてい正解です。

初めて読んだこの本、『どうして私、片づけられないの?』という本は、特に私に示唆を与えてくれました。特に、困っている事柄が「片づけられない」ということ。医療機関自助グループに参加すれば道が開けるかもしれないこと。何より、たしかに難しさはあるかもしれないけれど、世の中に責められるのは自分の無能のせいでなく、自分の特性のせいであるとわかったことが大きかったです。

著者である医師・櫻井公子先生のクリニックは遥か彼方の東京都新宿。なぜ東京都内に住んでいる頃にこの本を手に取れなかったのかと残念ではありますが、それでも、気づけたのはいくらかマシかな?

ADDという診断が出るなら投薬といった具体的な対策につながるでしょうけれど、もしグレーゾーンということであれば、読書療法などで自助していくしかありません。あとは、この特性を生かして何かをしていくこと──私の場合は手芸などがそれに当たりそうです。そうした趣味が仕事につながっていけば、と思える状況にあるのは運が良いこと……なのかな。もし今、離婚とか死別とかしたら一挙に切羽詰まってしまいそうですが、まあ、その時は何とか生活保護なりを受給することにして、今できることをやっていきます。

どうして私、片づけられないの?―毎日が気持ちいい!「ADHDハッピーマニュアル」

どうして私、片づけられないの?―毎日が気持ちいい!「ADHDハッピーマニュアル」